おもしろ坂道
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広坂ひろさか
石垣と緑に挟まれた美しい景観
金沢21世紀美術館と兼六園を結ぶ広坂交差点から県立美術館や国立工芸館へと続く坂道。両サイドには石垣と道を覆うような木々の緑に挟まれ、美しい景観が楽しめます。坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中期頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。
(金沢市広坂) -
W坂だぶるざか
旧制四高生が愛した散歩道
寺町台から犀川に架かる桜橋のたもとへと抜ける坂道。遠くから見るとジグザグに鋭く折れる姿から、旧制四高(現・金沢大学)の学生たちが命名したといわれてます。作家井上靖の通学路でもあり、小説『北の海』にも登場しています。藩政時代は寺町台に石工の職人たちが住み、「石伐坂」(いしきりざか)と呼ばれていました。春には坂の上から眺める犀川と桜並木は絶景。
(金沢市清川町) -
馬坂うまざか
馬を引きながら登った長い坂道
小立野の宝町から天神町に下りる坂が馬坂です。字の通り、昔、田井村の農民が、まだ荒野だった小立野に草を刈りに行くため、馬をひいて登ったといわれる坂道です。くの字に折れながら続く坂は、ひと休みしなければ登りきれないほどで、六曲がり坂とも呼ばれました。坂の途中にある祠には馬坂不動尊がまつられ、龍頭からの湧き水は眼病に効くと伝えられています。
(金沢市扇町) -
八坂はっさか
きこりたちの通い坂
東兼六町にある八坂は、片側が寺院群、片側には閑静な住宅街が続く延長約50mの美しく傾斜の急な坂道です。八坂の辺りには、昔きこりが通っていた八つの坂があり、そのうちの残った一つが八坂だといわれています。もう一説には、小立野へ登る八つの坂の最後の坂だというので、八つ坂と名づけられたというものがあります。坂に沿う寺院は八坂五山と称されます。
(金沢市東兼六町) -
嫁坂よめざか
娘を思う親心がうかがえる
加賀藩の重臣だった篠原出羽守が、鉄砲隊頭を務めていた本庄数馬に娘を嫁がせるにあたり、嫁入り道具を運ぶために切り拓いて造った道です。もちろん、娘は嫁に行くときもこの道を通ったそうです。娘を思う親心の強さを思い知らされる道ですね。坂の途中で急に視界が開け、坂の上からは金沢の町並みが一望でき、絶好のビューポイントになっています。
(金沢市石引) -
蛤坂はまぐりざか
坂の途中には趣きある老舗料亭も
犀川大橋詰から寺町台へ抜ける坂道が蛤坂です。享保18年(1733年)に金沢で大火があり、この辺り一帯は焼け野原になりました。焼け跡の曲線を描く坂の地形が、焼き蛤が口を開けたようだと、地元民が名づけたといわれています。この坂の途中には老舗料亭があり、昭和初期に建てられた風情ある木造4階建ての造りが目を引き、坂の由来を知るとともにもう一つの楽しみでもあります。
(金沢市野町)